人が喜んでくれることをもっとも効率的に実践したくさん振りまきたいなら、
芯を共有し分業し組織化するしか道はない!
そんな佐野畳屋になります!
はい。そんな感じで考えて、早速佐野畳屋の生命線になるであろうおもてなし事業部をつくりました。
内容はまたいつかご紹介します!
思いは届く。
信じ抜く心さえあればそれを補足する武器などは拾いながら走る。
学びながら動き、動きながら学ぶ。
先日の頭痛は僕の記憶を奪うことはしなかった。
体が本能として
考えることをやめろってことではなかった。
まだとことんやってない。
い草産地とほこりを共有し、とことん伝わる形にしていく。
これでもかってくらい伝え、それでも、
もうやめてくれ!お前なんか誰も求めちゃいないんだよ。化石野郎!
って言われたなら僕は諦める。
い草がなくなりゃ畳屋もやめる。
「どうしてそんなに畳が好きなの?」
ってよく聞かれる。
車の整備が好きで整備士になった人。
服が好きでアパレルやっている人。
お菓子が好きでパティシエになった人。
僕は畳が好きで畳屋になってはいない。
ママンキーが、畳が重くて辛そうだったのと、
僕が人生に迷い逃げ帰って転がりこんだだけ。
お小遣いのような給料でも何となく社長になって稼いでやるくらいの気持ちでやっていた。
それでも産地に通うようになり、
生産者さんの生き様を見たとき、
震えた。
そしてのめり込んでいった。
僕にとって畳の技術は魂の素材を存分に活かせるようにしたかったんです。
こんなこと言うのは嫌いだけど、い草より野菜の方が儲かるし、リスクも少ない。
畳も天然ものではないけどカラー豊富なもの、お手入れがあまりいらないもの、デザイン的なものたくさんあって、それらも駆使していけばもっとたくさんの表現ができる。
でもね。
なんか違うんだよ。
効能とか機能性とかそんなことではなく、
言い方悪いし、少し違うかもだけど、
儲からなくても、信じ、誇り続けてくれる生産者さん。
その一番のパートナーである畳屋が売上に走っちゃ駄目だと思ってる。
売り上げのためにい草があるんじゃない。
会社存続のため売り上げも利益も不可欠なのは重々わかってます。
だけど売り上げのために畳があるんじゃない。
日本の住まい方の中で、
人のための畳であったからこそ畳は文化になった。
いくらテクノロジーが進化しても人のために生きるだけなんだよ。
い草は人の住まい方を少し幸せにするために在り、
畳屋も生産者さんもそんな喜びを誇り分かち合う仲間なんだと思う。
僕は畳が大好きだ。
それは畳表だったり、畳縁だったり、畳床だったり生き様として美しい生産者さんたちが根底にあるからなんだ。
「い草やってて良かった」
そんな言葉が聞きたいんだ。
僕は畳が好きで畳屋をやっていない。
畳が出来た文化的背景を含めた生き様が好きで、
畳屋をやっている。
い草の伝道師でもなくなってきた。
魂の伝道者?
うん。またすごくわかりにくい暑苦しいジャンルになってきたぜ(笑)
ほっこりしようぜ
おしまい