草の選別、製織、一枚おるのに一日を要するという。
一年の半分は田んぼ仕事があるので、
年間に130枚くらいしか生産できないと淵野さんは言う。
そして手を抜けばもう少しは生産可能だとも。
もちろん手は抜かない。
手を抜くのなら、わざわざこの道を選ぶことはしないのだから。
七島藺会のホープ淵野聡さんは父親が生産者だったからというわけではなく、
むしろ地元佐賀県でのお米作りが嫌で奥さんの地元国東半島でサラリーマンになったのだという。
それが今や、脱サラし、
100倍はマニアックな琉球表(七島藺)を作っているのだから、巡り合わせとは本当に不思議なものだ。
夜、アルバイトをしながらでも、生産に携わり続ける七島藺とは、一体なんなのか?
今日はそのことを書きたいと思います。
七島藺(しちとうい)
『生まれは琉球 育ちは大分』
名前の由来は江戸初期の豊後の商人がトカラ列島で栽培されていた琉球イを豊後に持ち帰り全国に普及させたことからこの畳表を”琉球表”と呼ぶようになりました。ほかに豊後表、青表、七島藺(しっと)などと色々な名前でも呼ばれてきました。
江戸時代、庶民はい草の畳の使用は禁じられ、藁やカヤで出来た筵(むしろ)を使っていましたが、色艶がよく肌触りの良い七島藺の敷物が多く使われるようになりました。七島藺を畳床に縫い付けた畳を琉球畳と呼び、長屋や商家、火に強く耐久性がある為、囲炉裏のある東北、北陸の農家などに使われ、近代では炭鉱の住宅などにも使われていました。また前回の東京オリンピックまでは柔道畳としても全国各地でつかわれていました。※くにさき七島藺振興会資料参照
同じ草でも七島藺とい草は特徴が少し違い、手触りも違う。
育て方などはい草に類似していました。
ただ七島藺は身の丈180㎝くらいに育てたカヤツリグサという三角の草を、
半分に割き乾燥を行います。※通常い草では行われる泥染めという作業は行われません。
(乾燥後は丸くなります)
写真じゃわかりにくりですが、こちらはい草。
コチラは七島藺。。
めちゃくちゃわかりにくいですね(失笑)
実際に見ていただくと全然違います。
吸湿効果などの効能はさほど変わりませんが、七島藺は耐久性と防火性、荒々しい草感が半端なく、
それに比べると、い草は繊細で美しいイメージ。
こちら七島藺。
こちらい草
こちらはセキスイさんの工業表。
ね?写真じゃまったくわからないでしょ。(笑)
というわけで4月29日には田川石炭記念公園で開催される沖縄フェスタにどうぞいらしてください。
特に何も買わなくていいですから、オリオンビール片手に優しい音楽に包まれて、
琉球畳に座ったり、寝たりしましょう。
そのとき初めて琉球畳っておもしろいな!!と感じることができるはずです。
い草と独自の風合いを醸し出す七島藺。
どちらも古き良き自然物であり、新しい気づきと癒しを感じさせてくれる超おすすめ素材です。
い草、七島藺。さいこーーー
手前左が淵野さん。右が福岡市東区鶴田畳店の笠君。
背後霊のようにたたずむ黄色い帽子が田川のブラピ。ぶらっとっぴぴっとのりたろーです。
夜工房に戻ると沖縄の模様を描いた”ちゅらべり”が届いていた。
琉球表をへりなしに仕上げるのか?ちゅらべりをつけ、それをまた楽しむのか。
それはもう。
お好きにどうぞ(笑)
なんくるないさ
おしまい