不完全を愛でる。
侘び寂びの世界
侘び寂びの意味は色んなネットで説明してくれているので、ここでは深く説明は致しませんが、
”侘び寂び”を一言で言うと「不完全さ」を敬う気持ちではないかと思っています。
今風に言うならば「切ない。」「エモい。」
い草は自然素材、農産物です。そして人の手で作られている。
ゆえに「完全」ではないと考えます。
どんなに豊作の年であれど、どんなに大ベテランが全身全霊で望めど、「不完全」である。
むしろ完全を望めば望むほど不完全さを知る。
それがゆえに何事にも変えられない美しさを放つのだと思っています。
禅問答みたいになってすいません。戯言のような本気のブログです。
景色をつくる
茶道のお稽古をつけて頂くようになってから、さらに畳が好きになりました。
それは、①でも書いたように、色んな感覚で楽しめるい草をはじめとする素材があっての話なんですが、
今まで習ってはいたけど、そこまで深く理解出来ていなかった技術の意味をお茶席に見ることができたからです。
どうしても専門用語になってしまうのですが、「い筋を通す」と「目のりを出す」ということです。
い筋を通すとは?
つまり、畳表はい草一本一本を織り込んでいくことで出来ていますが、そのい草の流れをまっすぐしろよって話です。
写真じゃイマイチ伝わりづらいというか、リアルに見ても最初の方は「何のこっちゃ」の知識と技術でした。
なんとなくわかりますか?
あとこっちも先に言っておいた方が後でわかりやすいと思うので、引き続き二つ目の「目のりを出す」という言葉の意味を
言いますと、
こちらは見た目で一目瞭然ですが、どれが正しいのかはわかりませんよね?(何となく3枚目は違いそうなくらいしか)
茶道をされている方はわかると思いますが、お道具を何目に出すとか、何目に座るなどの作法があります。
その時、2枚目、3枚目のようになっているとこれは一目に入れていいのかな?というふうに迷ってしまいます。
またい筋が曲がっていると、何か四角形のお道具をおいた際、まっすぐに見えないため景色を崩してしまいます。
そんな細かいこと言うなよーーーと思う方もいらっしゃると思いますが、もてなす方は本気で喜んで頂こうと追求し、
日々お稽古を積んでいるわけです。また生産者さんも喜んで頂こうと一生懸命日々い草など各々のモノやコトと
向き合われています。作り手と買い手の両方に喜んでいただくことが出来るのが僕たち畳屋なんです。
お茶をされていなくても何となくこの和室何を置いても、何も置かずともかっこいいね!!!と在れるように
知識と技術を磨き続ける。
それが本物の畳職人であると僕は思います。
機械があれば誰でもできる???
形には出来ます。ただやはり「おっ!!」と光る存在感のあるものは出来ないと確信してるし、作り手にその気持ちがないと
お客様も意味がわからず安い方が良いと言うに決まっています。
高いには高い理由があり、安いには安い理由がある。
畳は景色を作用する。だからい草は美しい。
造花と生花
例えば華道でお花を生ける時、枯れちゃうからと造花にする方いるでしょうか?
また造花を生けたとして、それを見て美しいと思う方いらっしゃるでしょうか?
造花が悪いとは思いませんが、やはり日本文化は”侘び寂び”を重んじ美しいと思う文化であると僕は誇りたい。
だとすれば、造花でなく生花。工業的な畳表ではなくい草の畳表。不完全なれど、また愛おしく心で出来ているもの。
物質社会だからこそ、そういった精神的な美学を大切にしていきたいものですね!
最後まで読んでいただきありがとうございます。
次の回で佐野畳屋がい草をお勧めする理由シリーズは一旦終わりです。
ぜひまたよろしくお願いいたします!!!!
ほっこりしようぜ
おしまい