「正直言います。畳にはあまりまだ興味は
ないのですが、先日畳を通じて垣間見た
“畳の向こう側”
つまりヒトに興味があり、話を聞かせて頂こうと思いました。」
田川にある福岡県立大学に通う四年生女子が言ってくれた言葉です。
先日「高津川」という映画をみました。
高津川とは島根にある日本で唯一ダムのない一級河川らしいのですが、
男41歳、涙腺にもダムがありませんでした。
どう考えても泣かせるポイントなんか一つもないのに、
水が綺麗だなぁとか、
いわば田舎の”普通”
にココロが揺すぶられまくる。
特別なことなんか何一つありはしないのに。
最近はおかげさまで老若男女問わず色んな方と話せる機会が多い。
そこで感じるのは
“普通”ってものの偉大さ。
水が綺麗だとか。
風が気持ち良い。
だとか、雨のありがたみや太陽のありがたみだとか。
そしてそんな感受性は若い人こそ鋭い。
(僕が若い頃と比べたらまじ素敵すぎる)
うちの長男もそうだけど、それだけ未来が不安なんだということも言える。
戦争、災害、日本で言えば円安や超高齢化社会などなど。
話が大きくずれましたが、
結局僕が突き動かされたモノは、
い草というモノにかがげたコト。
そしてその原点にあるココロの部分。
今日4月29日は畳の日らしいが、
クリスマスより、キリストの生き様。
畳の日より、畳屋や、生産者さんの生き様が気になって仕方ないのです。
そんな僕は今い草の聖地熊本県は八代にいる。
幾度も訪れた産地ではあるが、
4月、5月の期間は訪れたことがなかった。
今は田んぼでの作業真っ最中。
先刈り、杭打ち、網張り、今のいぐさの状態を見ながらの手助けなど、いつもそうだが、大切な時期。
子どもで言うならば中学生くらいだろうか?
頭の中の???
を少しでも共有できるよう明日は撮影させてもらう予定です。
畳にはまだまだ知らない奥深さがあります。
そのことを僕の人生を通じてお伝えして行く所存です!!
ほっこりしようぜ
おしまい