今、改めて日本を見つめる。

 

10月29日野見山当主との出会いは、改めて日本を考える時間を与えてくれました。

一手間も二手間もかけて仕事、掃除、料理する苦労、

それは、その何倍もの喜びと感謝を与えてくれるんです。

 

スイッチ一つで電気が点く。

スイッチ一つでお風呂が沸く。

スイッチ一つで畳が縫える。

 

その利便性は次第に世の中からモノの価値を奪い、職人という生き方を変えて行った。

もちろん良い場面もたくさんある。

 

だけど、大切な基本的な感謝を忘れてはいけない部分を欠落させる。

 

畳で言うならば、手縫いは一切できず、ライン化された畳工場で畳を作っている作業員に、

本当の機械ののありがたみはわからない。

寸法が狂うと機械メーカーを呼ぶのだから。

 

ひと手間の価値。

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僕が天然表が大好きなのは、農業が大好きなのは、

ひと手間の価値があると思っているから。

農業に絶対はない。マニュアルはある程度の目安でしかない。

土を見つめて、空を見つめて、ここぞという時に動く。

それでも相手が自然である以上、絶対良いものが出来るとは限らない。

常に自分というものと真摯に向き合っている。。

そういったどうしようない日々の中で、大切に育てられたい草を、大切に畳表に織っていく。

 

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それが流通に乗り、僕ら畳屋の元に届く。

 

また畳の話になってしまいましたが、

 

これぞ日本だと思う。

 

一つ一つのものに感謝すべきものがあるんです。

 

最近お風呂にはいってていつも思う。

想像してほしい。

湯船のお湯は川からやっとの思いで水を引いて、薪を割り、火を起こし

沸かして浸かる。

水が勿体ないというのは、本来水道料金の問題ではないはずです。

 

湯船に入ってるお湯しかないとしたら?

目の前にあるおにぎりに次がないとしたら?

 

きっと大切にするでしょ?

感謝するでしょ?

 

そういったものが各々の仕事となり、水道屋さん、農家さん、料理店さん、建築屋さんとなったんです。

 

それは一見、当たり前のように生まれた時からあったかもしれないけど、

歴史をたどると、一つ一つが感謝しかないんです。

 

 

それは多分日本らしさと言うより生きるということなんだろうけど、

 

その中で、

侘び「貧粗・不足のなかに心の充足をみいだそうとする意識」

寂び「閑寂さのなかに、奥深いものや豊かなものがおのずと感じられる美しさ」

 

という美学を見つけ、今風に言うならば”わくわく”してきた日本。

 

モノが溢れ、鉛筆も消しゴムも最後まで使いきることが出来ない僕自身。

 

今、改めて古き良き日本から学ぶことを始めたいと思います。

 

のりたろー曰く

電気を点けるではなく、明かりを灯す。

 

これぞ日本の美。

 

 

 

つまり、

 

 

 

畳サイコーーってことです(軽い?)

 

 

 

 

ほっこりしようぜ

 

 

 

おしまい

 

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