昭和24年祖父が佐野畳店を創業。
昭和52年祖父他界、二代目佐野博明に代が変わる。
平成17年現三代目店主、佐野典久が見習いとして入社。
当時は畳が好きじゃなかった三代目がなぜこれほどまでに畳が好きになっていったのか?
そのことを少し書きたいと思います。
“2005年僕は福岡市内から地元田川に戻り畳屋を継ぎました。
その時は継いだというよりただ、転がりこんだ。感じ。
というのも負け、逃げ帰ったから。
何に?
自分です。
自分がすべてを決め、頑張るだけ。
今ならそう思えるけど、当時の僕は運命のせいにしてた。
こういう運命なんだろうな。とか
そうやって実家に戻り、畳屋をやることとなった。
失業保険をもらいながらパソコンを学んだ。これからはパソコンも必要だと言われたから。
ただ言われたからなんです。
畳屋にみならいとして転がり込んだ当初は畳をそんなに好きじゃなく、
ただ母が重い畳持つのを見るのは忍びなく手伝っていただけでした。
暇があればギター弾いて歌ってた。(今は音楽も本気で好きになっている気がする)
仕事が終わればすぐ野球の練習ばっかりしてた。
五時になったら駆け出す感じ。
そんな風なまま1年くらいが経過したある日。
「畳学校いってみるか?」
と先代である父に言われ、
「どっちでもいいけど。。。。」
的なあやふやな感情で入学を決めた。
高校を出て音楽学校に行くといったあのワクワクな気持ちとは正反対でした。
失礼だけど。
そして入学し週一で通い始めたが、
最初のほうは算数とか実技でもあまり畳を縫うことなく縫うのは上敷き(ござに縁を縫い付けたもの)ばかりであまり楽しくなかった。
その時の佐野畳屋も中国産の材料が主で、98%機械仕事という感じだったので、
正直何も面白くはなかったです。ただ工程を覚えて縫いあわせるだけ。
そうこうしてるうちに二年になり時々手縫いで畳を縫うようになり ちょっとずつ思ったところに針が上がるようになってきました。
でも佐野畳屋では相変わらず中国産の機械縫い。
時折、手で練習したりするけど何か別にワクワクもなく。
そして三年生になりました。
ほとんどの授業が実技のみになり、二級試験に向けたタイムを気にするようになった
ちょっとずつスピードが上がってきたと思っていましたが、二級のタイムにはまだ遠い。
佐野畳屋でも積極的に手縫いを取り入れたり、
実際の仕事では時間がないので暇なときに少々。(当時は結構暇だった)
残ってまで練習することはありませんでしたが。
でも畳を縫っているとき、ふと気付いたんです。
なんか学校のときと景色が違うなって。
実際縫っている最中は針がどこにあがるかなーなんていっぱいいっぱいですので
休憩中ぼけっーとしているとき
なんか違うなって。
そう。家でやる場合は中国産の畳表だったんです。
学校には国産畳表もあった。
そう中国産の場合い草に艶もないし、なんかカサカサ固い。
国産と言ってもへっぽこ生徒が作るわけですから安い物ではありますが、
艶があるんです。
いい匂いだし。
その違いが色々なんとなくわかるようになって、どんどん畳が好きになっている自分に気づくんです。
これいいなー。
どんどんこれ(国産畳表)ばっかり使いたいなーって。
かといっても見習いの身ですから相変わらず家では中国産でしたし思った様にはいきませんでした。
でもいつか国産ばっかりを縫えるように頑張るぞとは思ってました。
ところがある日、
い草産地がどんどん縮小していってるという話を聞いたんです。
「ええええーーー」
理由は当時の佐野畳屋みたいのばかりが畳屋に多かったから。
シェアとしては80%が中国産。
理由は安いから。儲けが出るから。それだけ。
これはいかん!!とあてもなくい草の産地熊本県は八代に行きました。
そしてあてもありませんから、わけもわからずとりあえず千丁町というところにあるJAに飛び込みました。
当時のい草担当の方が心意気を買ってくれて農家さんを案内してくれました。
このことはブログ『ボクとい草の物語』シリーズをご参照ください。
http://www.sano-tatamiya.com/230/それから毎月のように八代に行き、
勉強というより、やめないでくれー
俺頑張りますからーーーー
的な感じで。
ただただそんな気持でもい草というものを知り、生産者さんと話していると
どんどんいい草に出会うようになっていきました。
これ手で縫ってみたいと思ったら下手なりに手で縫って。
うわーーー最高やん。 うわーー
ってなってました。
そして今では国産の中でも色んな品種の違いを知り、
手で縫っていいやつを基準に仕入れれるようになりました。
畳は毎日踏んだり寝たりするもの。
手でさわって縫ってまじかで匂いまで嗅いで、良いやつはきっといいに違いないという結論の元
みなさんに紹介というか商売というか。
今では生産者さんとい草刈りをしたり、お酒を飲んで語ったり、
い草を商品としてではなく、心のこもった大切な天然素材だと知り、
また勉強していくにあたり、その奥深さに魅了され続けている次第です。
話がすごく長くなりましたが、
僕が畳を好きなわけ少しでもわかっていただけたなら幸いです。
天然い草。
手で縫ってみていいやつが基準。
目利きというか
見て、触って、嗅いで、感じて五感で確める的な。
すごく偉そうですがそんな感じなんです。
佐野疊屋はい草が大好きな店主を中心に、
これからもずっとずっと大好きな畳でわくわくしていただけるよう
頑張って参ります。
がまだせ佐野疊屋!!
がまだせ熊本!!
がまだせ日本!!!!
ほっこりしようぜ
おしまい