僕が畳屋になって12年。
最初からこんなに畳が好きだったわけではない。
7,8年前、初めてい草産地八代に行き、素材というものを生き方から見つめ、
それでもやっぱりい草だけをホームページに掲載してたわけではなく、
い草じゃない素材なんかも同じようなカテゴリーで売ってました。
やがて産地の衰退に危機感を覚え、それでも売上を上げることが先決だなんて言って、
特になんの改善もなく”売る”ということを目的に畳やってました。
でも、5年くらい前から、本気で産地と交流する機会を頂きながら、
い草という素材に僕自身がどんどんのめり込んでいきました。
ただの負けず嫌いから畳一級技能士の資格も取り、
ただ現場での不安から解放されたいがために技術を学びにいってました。
5年くらい前からい草い草言ってましたが、それは畳屋としての商品が無くなることへの危機感だけだったかもしれません。
ただ無くしてはいけない。い草は日本には無くてはならないものである。とは思い、何かに憑りつかれたかのようにい草い草唱えてきましたが、そうやって色んな視点からい草を見つめて向き合ってきたせいか、ようやく最近突き抜けたんです。
遠い空から畳というものを見ているような感じ。
本物の畳はい草というものを使った畳という商品だーーー
とかではなく、
文化である。
畳を文化としてしか見れなくなったから、い草以外はあり得ない。
そして文化だからとかではなく、この深い素材を知れば知るほど、豊かな気持ちになれる。
そう。そういってもらえたのがまたきっかけとなり、
今僕、
突き抜けちゃってます。
い草サイコーーーー
い草サイコーーー
そう。二回言っちゃうほどに。
これは、ブルハーツにはまった中学時代。
高校、専門学校と年を重ねるにつれてグレイだとかハードロックだとかに行っちゃったけど、
結局ブルーハーツに戻った感覚(わかりづらい)
答えを言わないものが好き。
投げかけて絶対的大丈夫感は与えてくれるけど、答えは決して言わない感じ。
それが自然的だ。
ゆえに甲本ヒロト、マーシーが生み出す世界観は自然的だ。
”夏は二人に暑く、冬は二人に寒く、
世界は一つだった。昨日まで一つだった。”
僕の原点は、い草、畳、とか商品ではなく、
自然的な価値観。
そんな共有が佐野疊屋の畳にはあるんだ。
もちろん生産者さんの心を知っているから。
心を見て来たから。
一緒に呑んだり語ったり、い草刈りしたり、織ったり、泣いたり、笑ったりしたから。
やっぱりい草は最高だ。
ほっこりしようぜ
おしまい