最近の新築では床の間ってあまり見ませんね。
正直うちにもありませんし。(実家はあります)
でもやっぱり欲しい床の間。
そこに四季のモノをちょいと置いて、それを見ながら大切な時間を過ごす。
粋だと思いませんか?
そんな粋な所に、空気を壊す施工が施されてあったり、
汚かったりすると、げんなりです。
僕は息子に利休と名付けるほど、茶の湯の世界が好きでして、
まあ好きと言っても、習っているわけでもなく、作法も知らない。
ただ”利休に尋ねよ”と言う本に感銘を受けただけなんですが。
一度京都に行った時連れて行って頂いた茶室の先生が言ってました。
「別に難くなる事はないです。ただその時
の空気を存分に味わい、楽しんで頂ければ、それで良いのですから。」
的なことを。
それからまたまた茶の世界が好きになりました。
ただ習ってませんし、習う気持ちも今はありません。
空気を楽しむ。
ただそのことが好きなのです。
昨日、床の間の仕事をしました。
前の畳屋さん?はホッチキスで止めてあるだけでした。
しかも、ホッチキスが見えまくっている。
それを見た時、その立派なお宅を建てたお施主さんはなんて思うのでしょう?
「こういうもんなのか?」
と畳屋を疑っていただろうか?
それともただ畳に興味を失ってたんじゃないか?
情緒のかけらもないと思ってなかっただろうか?
畳の良いところの一つに情緒、趣きがあると思っていますが、そういうのって、
「ここよ。ここ。この辺、情緒があるよねー」
的なことではないですよね?
なんかわかんないけど、全体的に見て、雰囲気いいなぁ。
「ほらほら見て見てー。新竹の影が夕日に照らされ障子に映し出されている。
それが風に揺れて、床の間をあてたスボットライトみたいな影が、畳の目を歪ませてる。素敵ねー。よくわからんけど。。てへっ」
そんな訳の分からんもんでしょ?
情緒って。
だから日本の文化でしょうよ。
白黒はっきりしない、答えなんてない。
なんとなく的なもの。
どうやら切なさという微妙な感情は日本人だけらしいですが、
僕は切ない。夏の終わりが切ないんです。かしこ
とは外国人は思わないのだろうか?
今度聞いてみよ。スピードラーニング習得したら。
そんな日本人の美しさともいえる、あやふやな気持ちを
はっきりさせる便利性だけを追い求めた、造花や工業製品は床の間にはいらない。
そう思います。
ゆえに床の間の畳は、自然にそこにないといけない。
ホッチキスでシワ伸ばしてます的なモノなど、言語道断!!!
まあ個人的な意見ですが、僕はそう思います。
そこで使用させて頂いたのは、広島県は尾道、山根さんの龍髭表にポリが入っているけど、紋縁。
それを浜田さんという大先生に教えて頂いたやり方でしあげました。
全てが手作業ですし、
全てが自然物。(ポリ少々)
それをそっと置いて終了。
ふむ。
良かった。無事収まって。(笑)
偉そうに言ってますが、こう言ったモノは特に神経を使います。
良い材料と良い知識と良い技術と良い心を
ちゃんと磨いて届けていきたい。
皆さんの人生が少しでも粋なモノになっていけるように。
ありがとうございました。
別に床の間がなくともちょいっと置いて佇める空間。
そんな空間があると、世界はまた美しい。
ほっこりしようぜ
おしまい