”禅とは心の名なり”
今はよくわからないのが本音。
日本の古きを楽しむ。という佐野疊屋のコンセプトが出来ました。
職人とともに考えたコンセプト。
そしたらば、佐野疊屋が考える日本の古きとはなにか?という問いを頂きました。
ぼやっとはあるもの。でもなかなか成文化できていないモノ。
そんなことと向き合う時間として僕なりの日本の美しさの一つである禅を毎朝10分組むことにしたんです。
禅は多分日本にものではないのとは思うけど、発祥の地、今はそれは置いておこう。(笑)
おはようございます。
禅を組むことで気づきを頂く。
本来禅とは積み重ねる作業ではなく、整理していく作業だと思うんです。
ただ今は初めて間もないからか、色んな事を考えてしまう。
そのことを少し書きたいと思う。
まず気づいたのが、生きてるってこと。
呼吸してるんだ俺。
もっと鼻から吸って口から吐いてみよう。
深く深く。
そして気になるには姿勢。
身体硬いなー。だとか、なんか左によがんでないか?だとか。
そして気づく色んな音。
朝5時半にも関わらずいろんな音がする。
24時間換気の音。通り沿いではないが、車の走る音も聞こえる。
ピピピー
あっ。ご飯が炊けた。(笑)
うーむこれは邪念なのかなー。
お坊さんいたらあの名前がわからん板みたいなやつで叩かれるのかな?
『無になれー』バシッって
。
意外と10分って長いなー。
そりゃそうだよな。
NBAなら両者合わせて40点くらい点取るもんな。
多分、今奥方起きてきたら、
『大丈夫?』って心配するだろうなー
ああー。
禅ってすげーなー
人間てすげーなーーー
ってことで禅終了。(笑)
まあ初日だからまあいいか。
続けることが大事。
こんなにモノが溢れてなかった時代のご先祖様たちは、自分と向き合う時間とかが多かったのかな?
今だからこそって気がしてるけど。
禅を終え、目を開けてパソコンの部屋に入ったとき、
現代はまぶしいなって思った。
スイッチ一つで電気が点く。明るいな。
今の僕にはまぶしいけど。ありがたいことです。
電気が点くことで得たモノ。
電気が点くことで失ったもの。
色んな考え方があるけど。
今を生きる僕にとって出来ることは、
これに慣れ過ぎて当たり前だって思わないことだと思った。
電気もテクノロジーも
発展と共に置いてきたものが必ずあって、
それは必ずしも要らなかったものではなくて、気付けなかったものもあって。
本来の畳もそんな風になってしまってる。
多分社会がそんな風になってしまっている。
別にそれが悪いとかではなくて、
僕が思うのは、それがすべてじゃないってこと。
ゆっくり考える時間を持ったら、
体一つ、ただ呼吸をくり返し生きてることに気付くだろう。
死なないように呼吸してるだけ。
そこで深く呼吸すると。
こんなにも自由だと思う。
多分人間以外でこんなこと考える生き物いないだろうから。
だから強く。
だから弱い。
今あるモノ。守りたいもの。
しっかり見つめてしっかり動いていこう。
人間てすげーや。
まだまだ奥が深そうだ。
ほっこりしようぜ
おしまい