畳屋の在り方。職人の在り方。
あくまで個人的な意見ではありますが、いかに自然と見せれるか?
小さい、本当に小さなことの積み重ねの末、畳は出来るのですが、それらが空間に敷き込まれたとき、
いかに景色としてそこにあれるか?
そういったことを考えています。
あくまでい草は一つとして同じ表情はしていない。
それは天然ゆえの美しさでしかないのですが、それらを生かせるかどうかは、
配置や縫い方、仕上げ方に非常にわかりにくい所で大きく影響されていくのだと思うんです。
いつも言っていますが、畳は天然素材の集合体。作り手によって全く違うものへとなっていきます。
藁の刈り方、干し方、重ね方、縫い方、仕上げ方、
い草しかり、縁しかり。
藁、い草、綿や麻などの繊維、あくまで一本一本なんです。
一本一本が積み重ねてできた素材を、どういう風に縫い、どういう風に敷くのか?
はたまた置くのか?
昨日は、色んなパターンの畳を皆さんの家に届けさせてもらいましたが、
本当に喜んで頂ける仕事です。
もっともっと素材の力を生かせるように、
もっともっとそれらを景色として見せれるように、
そんな畳屋になりたい。
今日も大切な人をハッピーに出来る仕事を。
素材や機械にに頼りきりの畳ではなく、ちゃんとその空間のためにあれる畳をつくりたい。
最高の景色は自然あればこそ起こりうる現実。
い草、稲わら、綿、麻、”大切な日本の美”がちゃんと残っていきますように。
お前の為に自然があるんじゃねぇ
自然の為にお前がいるんだ!!
俺、安西イズム
ほっこりしようぜ
おしまい