い草。
畳表の素材。優しく雄大な自然と日本が誇る第一産業を支担う農家という侍たちが命をかけて織り成す逸品。
農作物、自然素材ゆえに、一年六ヶ月間大切に育て昨日まで最高の出来だったはずのい草は1時間の台風にやられてしまうこともある。
台風の他に、地震、豪雨、暖冬、冷夏、全ての自然現象が味方にもなり、頭を悩ませる原因ともなる。
それゆえに唯一無二の存在となり
それゆえに美しく、優しく、やがて日本文化となった。
僕は畳のプロフェッショナルである以上、
この唯一無二の畳表を作り手から知り、深め、
そして伝えて行きたい。
そんな原点とも言える情熱をたぎらせ、今家路を急ぐ。
今回の八代はこれまでにないくらい心境での出発でした。
だけどいざ八代に近づくにつれ、やはり高揚感とまた皆さんに会えるという嬉しさが勝り、着いたのは品評会、意見交換会をとうに終えた懇親会からでしたが、初めてお会いする方、FBでは交流のあるものの実際には顔を合わせたくらいの方、馴染みの方、八代のみなさん、全国の畳屋さん、が暖かく迎えてくださいました、こうやって迎えて頂けるのは本当にありがたい。
それから二次会(スナックにて一曲歌う。)
、三次会目はお好み焼き屋さん、
四次会はジャズバー、
深夜1時半で一旦解散したあと、
もう一度ジャズバー。
三井さんとサシで語る。
大好きなチェットベイカーを流していただき、
話は終始い草のこと。
3時まで僕の今後の展望などを聞いていただき、
ホテルへ帰宅。
泥のように眠り、
あっと言う間に朝が来て草のように起きました。
(意味不明)
そして2日目、特に決められたイベントはなかったので、超お世話になっている産地問屋の社長さんと農家さんを尋ねる贅沢な品評会へ。
結果的に社長と三軒、個人的にぜひ訪れたかった方の所に突撃で一軒、見せていただきましたが、
こうやって実際の1年半のことや思いなどを聞きながら見せていただける喜びはまさに贅沢の極み。
飲み会でとある方が、
「こんなにも産地の方々に可愛がってもらえて佐野君は幸せもんだねー」
っておっしゃってましたが、
まさに。ズバリ。おっしゃる通り。
危機的状況は今なお進行形で進むなか、
一つ実感できていることは、産地との絆。そして
本気で考え動けば、少しずつでも好転していくってこと。
逆に本気じゃなければ何も変わらない。
衰退の一途をたどる業界において、変わらないということは
本当になくなってしまうということ。
脅しでも、大袈裟でもなんでもなく、本当になくなってしまうんです。
上でも書いたように、文化的背景におけるい草がなくなるということは畳はなくなるってこと。
京都の世界有数な寺院にも、
茶室にも、お茶の間にも。
畳風の何かはあるのかもしれないけれど、
ジャパンプライドは間違いなく地に落ちる。
文化は歴史の本に載るだけ。
どう思う?
無いなら無いでもいい?
僕は必ず人は自然に帰ると思う。
忙しいとき、追い込まれたとき、辛い時。
映画、ひめゆりの塔で沖縄中を避難し続けるひめゆり部隊が、立ち寄った民家には畳があって、みんな満面の笑みで靴を脱ぎ捨て畳に寝転がるシーンを今でも覚えている。
今は物の豊かさが当たり前になって気付かないかもしれないけれど、四季のある日本に自然の恩恵と人間の知恵と努力で文化的敷物となった畳は、日本人のDNAの奥に五感を通して癒しを与える。
その物理的な効能にまた作り手の思いが乗った時、
手を合わせたくなるほど満たされた気持ちになる。
そこにある幸せを今、安易な選択で失いつつあるんだ。
たくさんのイベントや、取り組みを通して、
本物の畳を伝えるから、
少しだけ耳を傾けてもらいたい。
必ずい草に帰る時が来る。
その時、笑っておかえりと言える日本でありたい。
産地でお世話になったたくさんの方々、
本当に有難うございました。
僕はいたって本気です。
皆さんがい草やってて良かった思えるような理想郷を、諦めずに叶えましょうね!
そして日本に生まれてよかったと思えるような
文化を紡いでいきましょう!
若輩者がおこがましいですが、
そして深夜に大変騒がしいですが
皆さん、ご唱和下さい!
右手拳を握り、心臓へ。
目を瞑り、顔は少し上向きに構え
セーの
ほっこりしようぜ
おしまい