かなり強いタイトルなので軽はずみにブログに書くことは躊躇したけれど
小栗旬さん主演の人間失格を観て走ってたら、何だか感情が溢れてきたので書いときます。
誤解されないようここで書いときますが、これは映画「人間失格」を観ての感想ではないし、
どんな映画なのかなんて説明しているブログではないので、「人間失格」気になるけどどんな映画かなーなんてたどり着いてくださった方は申し訳ないですが、多分参考にはならないです!
ただ一個人にこんな風に考えさせる映画なんだ、ふ〜〜んって思ってくれる方はぜひ
感情の濁流で遊んで行ってください(笑)
![](https://sano-tatamiya-fukuoka.co.jp/wp-content/uploads/2022013001.jpeg)
まず何を持って失格なのか?
人間とは何なのか?
どちらも僕は答えを持っていないです
ただ一つだけ、
「失格」の対義語「合格」という表現を手がかりにしたときすごく感情が昂ったんです。
つまり人間失格の反対は人間合格
むしろ人間失格より恐ろしい表現だ!!
![](https://sano-tatamiya-fukuoka.co.jp/wp-content/uploads/2022013002.png)
目標を掲げ、目標を達成していく。
合格ですか?
じゃあ逆に目標もなく、死んだ目をして満員電車にゆられ、
帰りしな酒を飲んで愚痴をこぼす。
失格ですか?
楽しんでりゃ合格で、
もがいてりゃ失格ですか?
僕の薄っぺらい経験談で申し訳ないですが、まだ僕が結婚する前の話。
とある合コンに招待されて参加した。
確か男性5人女性5人での合コンでそれはすごく可愛い女性メンバーでした。
おそらくみんな張り切ってどうにか何らか進展させたい感じで、二次会のカラオケ
友達が当時人気だったスキマスイッチを歌い、いい感じの空気になった!!
だからなのか、あえてなのかよくわからないが、僕はゴーイングステディーの「若者」を歌った。
パンクロックを聴いた。世界が真っ二つに軋んだ
そんな歌詞の大好きな勝負曲だ!
ご存知の方はご存知だと思うが、ゴーイングステディー、略称ゴイステは
こんな感じ。
![](https://sano-tatamiya-fukuoka.co.jp/wp-content/uploads/2022013003.jpeg)
※これでもかなりおとなしめの写真
僕の中の”THE人間”であるゴイステボーカルの峯田さん。
そんな峯田さんに敬意を表し、歌ったのだ。
すると、どうだろう。
会場は静まりかえり、男仲間からは
「のりたろーは空気が読めんよね」と言われた。
あれ以来うんともすんともない。
そんな僕はきっと人間失格なんだろう。
もう一つ、大好きな場所を走っていたときの話
![](https://sano-tatamiya-fukuoka.co.jp/wp-content/uploads/2022013004.jpeg)
おそらく小学校低学年くらいの男の子と
おそらくまだ保育園ぐらいの妹が結構本格的にグローブをつけて
キャッチボールをしていた。
その妹の後ろにはグローブをつけたおそらく
おばあちゃんであるであろう女性が一人。
ここからは妄想ですが、小学校に入って野球を始めたお兄ちゃんがコロナの影響で練習がなくなり、
せめてキャッチボールがしたいと、妹を無理やり誘い練習を試みた。
でも今までグローブをはめたこともない妹は全然キャッチボールの相手ができず泣き出した。
するとおばあちゃんが「よしよし、私が行ってやるけん頑張ろう」
と意気揚々とグラウンドへ。
本当そんな感じで、厳しい言い方だけど投げる方もとる方も誰一人としてキャッチボールではなく、
嫌な大人の言い方をすると超グダグダ。
でもね。キャッチボールに至った背景を想像するとめちゃくちゃほっこりで。(妄想ですが)
本当みんな一生懸命だったんだ。
合格か?
これは人間合格か?
そんなおばあちゃんも今夜あたり、大好きな孫にちょっと理不尽な怒り方をしてしまい、
「おばあちゃんもう嫌い!!!!」なんて言われて
自己嫌悪に陥ってるかもしれない。
![](https://sano-tatamiya-fukuoka.co.jp/wp-content/uploads/2022013005.jpg)
僕もね。人間失格を観始めたとき最初は、
「うわー太宰治最低やー」
なんて思ってたのですが、終盤に近づくにつれ、一番人間らしいのは太宰なのかもと思い始め、
また各々の女性たちもそんな太宰をある意味利用していただけな感じで、ひょうひょうとしていたり泣きわめいたり
失格な部分と合格な部分を偉そうに判定しながら、結局何も分からず死んでいく。
太宰治は作家なので、それをこんな風に表現することが出来たが、僕たちは、いや僕はどんな風に
人間らしさを表現し、合格や失格を判断するのか?
特に表現する必要もないし、神様じゃないから合格とか失格とかわかりもしませんが、
死ぬときに、せめて家族だったり大切な仲間たちには、合格点をもらいたい
そんな僕は太宰治に言わせれば、つまらない生き物なのかもしれませんが、
死んで太宰さんに会ったときは
「あなたはあなたらしく」在ろうとした。
「僕は僕らしく」在ろうとした。
在れたか在れなかったは本当の意味ではわからないし、
それはある人から見たら合格で
ある人から見たら失格だっただけの話ではないのか?と太宰さんと語ってみたい。
さて、
これからどれだけ生きれるかはわからないけど、僕は僕らしく在ろうとし続け、
僕が思い描く理想に現実を近づけていく努力しかできねーな。(現時点での感想)
人間失格。
改めてものすごい生き様でした。
ほっこりしようぜ
おしまい