時間軸を独り言

先日始めて長男がバスケの試合に出ました。5分だけでしたが習ったことを一生懸命やったいるのをみて感銘を受けた反面責任を感じました。

最近は教育問題が叫ばれてますが、子供達って大人の教えた通りにやる。特に小さい頃は。

だからこそしっかり大人が軸を持っていないといけないです。

そう感じる子育て真っ只中の僕なのです。

おはようございます。

今年も残すところあと1週間を切りました。

年始に立てた目標は達成出来ましたでしょうか?

最近社内でよく話しているのが、時間は何のためにあるのか?って話。

一年、一ヶ月、一日、一時間、一分

その全てが地球の自転や公転を基準にされていると習いましたが、一年は365日、四年に一回366日1日24時間としてそのくらい回れば割り切れる。という理論の元、なんの疑いもなく生きていますが、

正式にいうと疑えばキリがないので、それでいいやと思っているのが本音。

だけど本当に割り切れているのだろうか?だとかとかいう疑問はなくはない。

だって子供の頃習っただけで自分で何も見てないですもん。歴史なんかは僕らが習った頃とは今は違うみたいですし。

結局どこかの博士や教授の論を信じて生きているという感じ。

信じているというより、疑い出して全て自分でやらないと気が済まないとしているとキリがないのでそれ以外の思考、自分の価値観、ポジションとして大事にしていく上であらゆる説かれたであろう教授の論を実社会、現実の中に役立てるということ。

だいぶひねくれたブログですが、

実際これを読んでくれているみなさんも解き明かされているであろう理論にふとした疑問ってのはあるはずです。

そして話を戻すと時間がなぜあるのか?って話。

僕的にはそれは人間心理に基づいたものでした。

①共通ルール

②刺激

まず①として一日という概念がないと明るくなったら仕事して暗くなったらやめる。

眠たくなったら寝て明るくなったら起きる。という生活になります。

農家なんかは今もそういう概念の方いらっしゃいますが、人が共同に暮らしていく世の中にはやっぱり基準って必要で、その中で時間というものを定めたんだと思うんです。

②の刺激といのは、例えばオリンピックの陸上で時間という概念が無かったら誰が頑張るでしょうか?

また人は始まった後の時間とラストスパートが一番生産的であると言われていますが、

時間という概念がなっかたら、いわゆる始業も終業も無かったら、だらだらになってしまう。

だから時間を定め、休みを作るってことが働く時間への刺激なんだと思う。

そう。一体なんの話をしているのかというと、

私たちは時間という概念の元目標を定めているということ。

10年ビジョンなんかまさにそう。

死ぬまで一生懸命頑張りますって目標はいつ死ぬかわからないから難しいですもん。

年始に立てた目標を定点で修正しながら見ていきながら年末に確認、反省、そして改善する。

そういったことができるのは誰かわからないけど有難い先輩が時間というものを作ってくれたからにほかなりません。

もっと時間を意識してみるということが、成長には欠かせない要素である。

という話を職人としてたって話でした(笑)

これは子供達にもすっごく大事な話だと思うので、ゆっくり話し合っていこうと思います。

時間って今や当たり前にあるけれど本当に凄い考え方ですよね。

時間がないと約束も出来ない。

約束出来るのは人間の特権だと思うのです。

決断出来るのも人間の特権。

面白いですね。人間って。

目標って自分との約束ということを加えて

さあ。改めて問います。

2018年、平成最後と言われる時間もあと少しです。

自分との約束果たせそうですか?

やると決断した自分との約束です。

さあどうですか僕自身。

One Life Infinity

たった一度人生は無限の可能性を秘めている

One Life

無限の可能性はあるけども、

時間は無限ではないってこと。

Life is infinity では無いってことを肝に銘じて、生きてることに感謝ですね!

メリクリしようぜ

おしまい

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