ボクとい草の物語⑦

単細胞なボクは久々の産地研修後、産地研修を産地礼賛と呼ぶようになり。

産地を聖地と呼ぶようになりました。

しきりに

「い草サイコーーーーー」

会う人に会う人に

「い草サイコーーーーー」

二言目には

「い草サイコーーーー」

と本当、幸せ者でした。

そしてまた月一ペースで産地を訪れるようになりました。

ただい草業界を取り巻く環境は、初めて産地を訪れて依頼ずっと衰退の一途を辿っていて、

衰退の現状を知り、いてもたってもいられなくなり、2007年初めて産地を訪れてからさらに200軒ほどが辞めている状況、2011年現在では農家数639軒という状況になっていました。

※い草御殿が経つと言われていたピーク時より10分の1以下の数にまで減っていました

そんな中、とある農家さんとの会話

「のりたろーよー。俺最近思うのさー。」

「どうしたんですか?」

生産者さんは悲しそうな顔をしながら言った。

目次

「い草農家は、世間に必要とされているんかなぁー」

僕の心を何かがえぐりました。

4年前い草はサイコーだって産地に訪れた僕。二回だけで訪れなくなり、

もちろんその間も産地は進行形で衰退して行ってた中で、snsの普及。

畳屋さんの投稿は”映え”を気にしてか、

目に新しいい草ではないいろとりどりのカラー畳の投稿が多く、

い草産地を勇気づけるような投稿は僕の目から見てもあまりなかった。

おそらくあったのはあったのだろうけど、僕も含め、不安という魔物に

意識にフィルターがかかり、い草ではない方に目がいくようにしていた気がする。

そしてこの言葉を吐かせてしまった。

「い草農家は、世間に必要とされているんかなぁー」

僕は目頭が熱くなるのをグッと堪えて言いました。

そして覚悟も含めて言いました。

「い草は最高です。生産者さんの心も含めて最高なんです!

それは紛れもなく僕が味わった真実です。だって僕自信が感動したんですから。

初めて畳を手で縫った時、初めて産地を訪れた時、僕は感動しました。

この人たちがいるから、畳は畳であり最高なんだと思いました。

きっと僕が証明してみせます!」

「・・・・ありがとうなぁー。

畳屋さんがみんなのりたろーみたいな人ばっかやったら本当良いばってんな」

こんなにいいものが無くなっていいわけがない。

伝わっていないだけだ。

伝われば、伝わればきっとまた。

やってやる。やってやるぞ

田川への帰り道。僕は車を走らせながら使命感に燃えていた。

その時はまだ自分が大きな間違いを犯していることに気づきもせずに。

ボクとい草の物語⑦

第一章 完

第二章は

生産者さんが言ってくれた

「畳屋さんがみんなのりたろーみたいな人ばっかやったら本当良いばってんな」

の言葉を胸に企業の組織化に挑戦する物語です。

思い出しただけで泣きそうですが、また思い出しながら書いていきたいと思います。

ほっこりしようぜ

おしまい

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