初の初釜 雪の初釜 

夢が一つ叶いました。

昨年10月よりお稽古させていただいてるお茶、畳屋ということもあり元々切っても切り離せないお茶の世界でしたが、「利休にたずねよ」という小説に感銘を受け、息子の名前を利休にしたり、名前は忘れてしまったけれど京都のお茶室に行かせていただいたりとお茶の世界というものに憧れを抱いていました。

実際お稽古は歩き方だったり、動きだったりとこれまで使ったことのない思考回路や体の部分をただただ自然のものに近づけるようなイメージで正直堅苦しさを感じることもしばしばで。

だけど昨日初めて初釜という儀式?に参加させていただき味わったものは、そんな堅苦しいものではなく

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本当のおもてなし

でした。

ってなわけで感動した初釜のことを思い出せるだけ書き記していきたいと思います。

まず色んな会に所属経験のある僕は初釜というのを“ただの新年のご挨拶をする集まり”だと思っていました。ただお酒がお茶に変わるだけだと。。

そうなんです。本当に了見の狭い僕はこれまで当たり前のように行われてきた集まってからの新年のご挨拶は、ただの飲み会の一部だとしか見れてなかったのです。ところが今回コロナでそんな当たり前を見直す時間もあり、新年のご挨拶というのは本当に大切な意味を持ったものだということを知りました。顔と顔を合わせて本当の信頼関係を互いに持って交わす会話しかり。

お茶の世界はお茶のお道具を買う商談すらも預かり書なんて切らないそうです。電話やネットを介して買えば効率は良いし、安いものだってある。だけどお茶の世界は直接お願いし、直接お受けする。そこにはお互いに覚悟があるので預かり書なんて切らないそうです。

一歩間違えたら詐欺なんてこともありそうですし、そんな非効率な買い方なんてなんだか古くさいなんて思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、かく言う僕もそうですし、今もなお誰とでも成立する考え方ではないです。

だけどそんな世界もあり、真実としてそうやって生きてきた方に感動を頂くという経験を積ませてもらった。一人の日本人として本当にいい経験でした。

丑年ということもあり、待合室の掛け軸にはそのようなものがかけられてあり、お香が入った入れ物もよく見ると牛さんで、お茶をすくう茶筅?は丑年生まれ、丑年に御退去された菅原道真公の太宰府天満宮から梅の木を使ったものだったり、コロナという時代背景から選んだという水が入っている桶(ごめんなさい名前がわかりません)だったり、お料理やお茶菓子など一つ一つに意味があり、その意味は僕たちをおもてなしして下さる思いから選び抜かれたものでした。

お茶の世界には拝見という時間があり、道具を見るという時間があるのですが、拝見のやり方にもお稽古があり、ただ見るだけなのに仰々しいなー思っていたのですがまさになぜその時間があるのかも顔と顔を合わせるという礼儀というか作法があるように、もてなす側にももてなされる側にも覚悟がいるということわかりました。

ちょっといつもの癖で熱くなりすぎてわかりにくい感じになってきたので、ざっくり言いますが、

日本サイコーーーー(ざっくり過ぎる)

そう。片田舎といえど九州は福岡で、10年に一度降るか降らないかぐらいの大雪の中で、味わうことが出来たあの時間はまさに贅沢で、贅沢と言っても高級ステーキがドーンと出てだとか、フォアグラがどうとかそういったものではなくて、空気、時間、場所、景色、そして人間力、一つ一つを大事に目の前の方に届けたいという思いこそまさに

本当のおもてなし

なんだと感銘を受けました。

一日ずれたら雪で出来なかっただろうなということも考えたら本当に有難い限りです。

ただ雪で準備がものすごく大変だっただろうなと容易に想像出来るので、先生にはゆっくり休んで頂きたいし、右も左もわからないのに利休という息子がいてその父というだけでハードルが上がり、そのハードルの下をそっとくぐり抜けようとする期待外れな僕にも優しく教えて下さる皆さんにも感謝しかありません。

目の前の人を最高にハッピーにという理念も、昨日のありがたき経験を経てすごく深く出来ると自負しました。

朝一子どもたちと繰り広げた雪合戦も、

そのあとの雪の中の初釜も、

もうまたとない昨日になってしまったと思うとなんだか寂しいですが、

昨日を越える今日にすべく、今日も全力で人生を満喫したいと思います。

昨日、今日と成人を迎えられた皆さんには心よりお祝い申し上げつつ、今日のブログはこの辺で締めさせていただきたいと思います。

ビバ日本

ビバ茶の湯

ビバ畳

い草サイコーーーー!!

ではまた。

ほっこりしようぜ

おしまい

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