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右の手を扱う時は
わが心左の方にあるとしるべし
一週間に一度畳に座し、今を味わう。
まだ見学者としての立場ではあるが、何よりもその時間を堪能している自負はある(笑)
柄杓(ひしゃく)を置く音、湯をそそぐ音
畳を歩く音、茶筅(ちゃせん)を回す音、
全てが心地よく、全てが有難く尊い。
「右の手を扱う時はわが心左の方にあるとすべし」
あとで読み直すと利休百首にもあるが、
その言葉をそっと伝えてくださる教えは、畳の手縫いを彷彿させる。
右手に針を持ち縫っていく時、大事なのは左手である。
また、体の置き方、道具の置き方、全てに意味がある。
そして先生は言う。
「お茶のみにあらず、日本の美しさはその過程にある」
ここにこうする。
お茶はまだわからないので、畳でいえば、ここに針を出すという時も、
結果的にそこに出たというのは間違いで、
そこに至るまでの過程、すなわち心のありよう、体の置き方などが大事なのだ。
なぜだろう。
お茶を学ぶたび、畳が縫いたくなる。
学びは最高に贅沢であると誰かが言ったが、
まさにその通りだと思う。
利休百首より覚えたばかりの句を詠んで今日のお茶ブロの結びとします
「その道に入らんとする心こそ
わが身なれど師匠なりけり」
自発的に習ってみようという心あれば、
その人自身の心にすでに師匠がいるようなものである
のりたろー的な解釈をすれば
いかなる時も
主体的であれば、その答えは天が教えてくれる。
そして“天とはすなわち心の中に在り”
ほっこりしようぜ
おしまい