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紅爐一點雪
紅炉一点の雪(こうろいってんのゆき)
今日のお茶のお稽古のお軸はこの言葉が書かれていました。
教えて頂いた意味をもとにググってみたら下記のような説明が。
芳賀幸四郎『新版一行物』には、「……紅蓮の炎をあげて燃えさかる溶鉱炉の上に一片の雪が舞い落ちたらどうなるか、ジュッともいわずすぐに溶けて蒸発してしまうことはいうまでもない。この『紅炉上 一点雪』という句は、実はそうした物理的現象にたとえて、真の禅者のいきいきとした正念相続の様子、ヒョイヒョイと沸き起こってくる雑念をスーッと正念化してしまう様子を説いたものなのである。(中略)常人の場合は、この一念を二念・三念と発展させ、連想を重ねてとほうもないところまで脱線し、雑念妄想のとりことなってしまうが、真の禅者の場合は、その一念をあたかも『紅炉上 一点雪』のように、正念の炎で溶かし蒸発させてしまい、二念・三念に発展させることはない」とある。【紅炉上一点雪】
悩み、愚痴、を雪とするならば、日常の中でヒラヒラと舞い降りた雪を、連想を重ねて人間問題に発展させず、正念の炎で蒸発させてしまいたい。
考えても悩むな!
思っても愚痴るな!
悩みも愚痴も降り続く雪のようだ。
積り積もって溶けるころが一番危ないし、周りを汚してしまう。
僕はそのように感じた。
お茶のお稽古では相変わらずわからないことばかりで、先生や先輩に教えていただくことばかりだけど、畳の上に座り、静かに目の前のことに集中している時間がたまらなく愛おしく尊い。
お茶のブログも今回で10畳目
いつも新しい気づきばかりだ。
畳って本当にすごいと思う。
畳屋を誇りに思います。
それではまた!!
ほっこりしようぜ
おしまい