映画「日日是好日」を見て、小説を読み、ピーンときた感情。
おそらくそれは映画の中での樹木希林さんのお茶と向き合う姿、生き様だとか仕草だとかが、
畳の原料い草の生産者さんのい草と向き合う心と重なったからで、畳職人もそれと同じで。
完成試写会の樹木希林さんの言葉もまた素敵でした。
「書は見るもの、絵は読むもの。」
ですって。
その上で紹介された当時11歳の女の子。
映画の中で使われている「日日是好日」という文字を書いた人。
その女の子の考え方がまた良かった。
「見ていただくとわかると思いますが、日日是好日という感じは五文字ですが、その中の三文字が日という字です。でも決して同じ日はないんです」
的な。
素敵ですよね。
まさに書は見るもの。
ってなわけで今回のサムネイルの日日是好日の日も3個違うフォントで作ってます(ドヤ顔)
「なんとなく」だとかの具体的でもない曖昧な感覚は経営者としての立場、40という年齢、はたまた時代の流れか、使いづらくなりつつある今、映画の中の印象的な言葉として
「頭で考えてはだめ、お茶は理屈じゃないの。」
って言葉が焼きついています。
そんな中映画に出てくる二つのセリフに対して僕の畳感と激しく重なった部分があるので、
その台詞をテーマとして今日は書いてみます。(あくまでYouTubeの後書きとして)
その影響ですごく感覚的に喋っててよくわからない部分もあると思いますが、
少しでも畳の奥深さが伝わりみなさんの人生の中で豊かな時間に気づく一助となれれば本望です。。
今日のテーマ
①「すぐわかるものとすぐわからないもの」って言葉と僕の畳感
②「形を作ってにそこに中身が入っていく」って言葉と僕の畳感
そのためにいつも畳の定義から入るんですが
ここでいう畳は、天然い草の畳表を使ったものだけを畳とします。
和紙だったりビニールだったりの畳は入りませんのでご了承ください。
※決して和紙、ビニールを否定しているわけではありませんのであしからず。
①「すぐわかるものとすぐわからないもの」って言葉と僕の畳感
ここは、YouTubeの喋りには入ってませんが、
これを録った夜、い草生産者の草野さんとお話しする機会をいただき、
僕の畳感の真髄を再確認したんです。
今のい草の状況を写真で送ってくださって、
いつもい草に
「ありがとうなー」
ってい草を撫でながら声をかけてるとのこと。(これは前聞いたときも感動したんですが)
そんな子供を育てるように大切に育ったい草で
編んでもらった畳表を使って僕たちは畳を作る。
価格だったり、納期だったり、商品としての畳はすぐにわかるものです。
でも、その奥には、すぐにはわからないかもしれませんが、愛でるような心がある。
そのことをたたみユーザーさんにお伝えするのが僕の仕事だと思ってます。
わかりやすくいうと
「すぐわかるもの」=商品(モノ、サービス)としての畳
「すぐわからないもの」=畳の奥にある心
なわけです。
今は分からなくても、
ぜひsano-tatamiyaTVをチャンネル登録し、毎日聞いてもらえればわかります(笑)
なんとなくわかるよって方は、きっと気が合うのでチャンネル登録よろしくお願いします(笑
②「形を作ってにそこに中身が入っていく」って言葉と僕の畳感
これも同じような意味にはなるんですが、
ここにはお客様の”暮らすということ”への寄り添いが入ってくるんだなって。
家が完成した時よりも、長く住んできた家を解体するときに人は涙する。
人が住む前はただのハコ、物件でしかないモノが、暮らしの中で“家”になっていく。
なんとなくわかりますかね。
だから僕らは畳を入れて終わりではなく、その中身作りのサポートまでが任務となるということです。
サービスとしては当たり前だよって方はいらっしゃると思いますが、
それは決して義務ではなく人間としての在り方なんだということ。
うーん。言葉にすると途端に嘘くさくなっちゃいます(笑)
まあわかりやすい例で言うならば、畳のカビ。
これはもちろん暮らしの中に起こること。
そこに畳を納めた畳屋の向き合い方で中身はだいぶ変わってしまうよねって話。
まだわかりづらいなーーー。。。。
理念とかもそうかも。
言葉として体裁を整えるより、
どう実践の中で中身を言葉に向かわせるか?
うーーーん。
また考えときます。笑
まあとにかく、今回の動画は僕の畳感のど真ん中を言ってる動画なんだけど、
感覚が先に出ちゃってるんでわかりづらいかもです。
でも一番のお気に入り。(自己満)
動画では最初に詠んでますが、ブログでは締めとして一筆詠んで終わりにします
”心が凝り固まっては見えないものも、力を抜いて素直に見ると
いろんな顔が現れてくるでしょ。
心を開いて受け止めるなら、この世の全ては美しくて元々。”
本阿弥光悦
ほっこりしようぜ
おしまい